12. 哀しみ
(11の続きぽ)





 授業中でもあいつに眼が行ってしまう。黒く太いフレームの眼鏡の向こうからこちらを睨む、この学年一の優等生に。
「少し早いが今日はここまでだ。次の授業までに課題をやっておけよ」
 そう言って早めに切り上げると静かだった教室がにわかにザワつきだす。休みの多い今の学校事情もあって授業のカリキュラムはすし詰め状態だ。本当なら少しの時間も惜しいのだが、如何せん今日は俺の都合がよくない。
 この間から、あいつは何を怒っているんだか…
 嘆息してあまり騒ぐなよと生徒らに釘を刺して教室を後にしようとすると、課題について質問をしてくる生徒がいたので暫し対応する。その間にも斜め後ろから刺すような視線。犯人はもちろんあいつ、工藤新一。
 放課後、話するか…
 説明を終えて、教室を出る前に工藤の席を一瞥すると、あいつは頬杖をついて窓の外を眺めていた。

 職員室に着くと次の授業が始まる前に工藤にメールをした。用件は短く、見られたとしても他意のないように映るよう極力事務的に。
 ここ最近工藤が酷く不機嫌だ。理由を聞いても押し黙るだけなので俺にはさっぱりわからない。授業で顔を合わせれば恨みでもあるかのようにきつく俺を睨む。
 また一つ溜息をついて、テストの丸付けでもするかと机の引き出しを開けた時、携帯が着信を知らせる。見ると早々に返ってきた工藤からの返信だった。わかりました、とだけ書かれたディスプレイを見て、プリントの束にペンを走らせた。

「眼鏡取れよ。伊達だろ?」
「……ええ」
 呼び出したのは第一図書室。専門的な本の多いこの部屋の管理は俺に任されていて、鍵をかけていたことがバレてもどうとでも言い訳ができる。おまけに生徒も教師もほとんど利用しない。俺たちにはいろいろと好都合な場所だ。なので今までも色事の為によく利用していた。
「とりあえず座れ」
「…はい」
 工藤は面倒そうに眼鏡を外すとシャツのポケットに乱雑に入れた。邪魔なものがなくなって形の良い瞳がよく見える。だが、いつもは楽しげに弧を描いていた眼が、今は不満気に歪められている。
「言いたいことがあるなら言ったらどうだ?」
「ありませんよ。僕には。話があるのは先生の方だったんじゃないですか?」
「嘘をつくな。最近のお前の態度はなんなんだ?」
 俯いている工藤の顎に手をかけて上向かせる。俺を睨む眼は変わらず、キスをする気にもなれない。
「僕は別に…」
「敬語はやめろ」
「俺はっ、……怒ってなんかいない」
「そうか……もういい、帰れ」
 頑なに口を噤む工藤に、俺は苛立ちを隠せない。正直、隠し事をされることがこれほど苦痛だとは思わなかった。工藤の態度が、俺達の関係を崩してしまおうものなら、俺は怒りに任せて何をするかわからない。自分でそう思ってしまうのが悲しいが。
「そうやって…………先生は簡単に手放せるんだ」
「え?」
「俺なんていなくなっても新しい男なんてすぐだもんな…!」
「おいっ…」
「それとも、ずっといた?俺以外にここに連れ込んでいる相手が」
 絶句…してしまった。きっと睨みあげる工藤の前で放心状態でいると、無言の俺に何を思ったのか、工藤は鞄に手を伸ばし背を向けようとしていた。
 反射的にその腕を掴む。
「待てよ」
「離せっ!嫌だ!」
 必死に俺の手を振り払おうとする工藤を引き寄せて、顔を近づける。すると今にも零れ落ちそうな瞳を揺らす工藤の顔。それが俺の表情を見て酷く怯えた様子に変わる。当然だ。俺は怒っているんだ。
「ろくに話もせず勝手にキレて、俺を男好き扱いしやがって…」
「本当のことだろっ!」
「どうしてそうなるんだ…」
 自慢じゃないが、工藤に会う前までは無類の女好きで二股は当たり前だった俺だ。それが今はこうして一途に我侭な高校生に付き合っているというのに、一体なんの文句があるんだか。俺が困惑している間にも工藤の理解不能な言葉が続く。
「わかってる。俺に先生を責める資格なんてないし。俺がバカだったんだ…ちゃんと割り切れてるはずだったのに」
「割り切るって何をだよ?」
「先生との関係だよ。ずっと憧れてて、抱かれるようになって、最初はそれだけで満足してた…なのに、いつの間にかこんなに欲張りになってた」
「く、どう…?」
 なんだかとても照れる事をさらっと言われたような気がするが。工藤の表情が悲愴なものになっていく様を見ている為上手く言葉が出てこない。
「もう嫌だ…他のやつに嫉妬なんて。挙句こんな醜態…もう消えたい」
 工藤は消え入りそうな声で言うと、しゃがみ込んで腕に顔を伏せてしまった。立っている俺からは露わになった項が見える。
 彼はどうやら多大な勘違いをしているようだ。言動から察するに俺にはこの学校に他に数人付き合っている人間がいると。そして工藤もその中の一人で、お遊びで付き合っていたのだと。
「他のやつって誰だよ?」
「C組の王子様みたいなやつ」
「ああ、この間振ったあいつか」
「…振った?」
「振った」
「でも、遊びでいいなら付き合ってやるって言ったって…」
「その前にこう言ったんだよ。『今付き合ってるやつに振られたら』ってな」
「…っ!本命、いるんだ…」
「ああ。お前だろ」
「……………オマエって誰?」
「勝手に勘違いして俺の前で小さくなってる工藤新一」
 名前を言うと弾かれたように工藤が顔を上げて俺を凝視する。
 ここまで激しく誤解されていたのかと思うと哀しくなるってもんだ。こっちは年の離れた恋人に振り回されてやきもきしていたというのに、相手は俺の気持ちを全く信じていなかったのだ。余裕のある大人を演じていた俺にも原因はあるのだろうが。
 じっと眼を合わせていると、工藤の眼が嘘だろう?と無言で俺に問いかける。
「誰が好きでもないガキ、しかも男を抱くかよ。俺はゲイじゃないしな」
 うずくまる工藤の二の腕を持って立たせた。だが工藤は視線を落としたまま俺を見ない。俺はこんな事態に陥ってようやっと気付いた。本気の相手には嫌でも執着心が湧くということに。
「俺は…俺のほうが、不安…なんだぜ?」
「黒羽先生…」
「お前知らないだろ?生徒だけじゃなく教師の間でもモテてるってこと」
 工藤はそんなのただの噂だと信じようとしないが、意思とは無関係に耳に入ってくる情報は俺を酷く不安にさせる。これだけの人数がいれば、俺より合う人間がいるかもしれない。そいつと工藤が出会ってしまったら、俺は…。
 ぎゅっと工藤の腕を掴む手に力をこめると、縋るような眼で工藤が俺を仰ぎ見る。
「先生…俺、先生のこと、信じていいの?」
「ああ。だからもう消えたいなんて言うなよ」
 ごめんなさい…。工藤が呟いて俺に抱きついた。日が沈み薄暗くなった図書館で、俺たちは漸く今日初めてお互いの体温を感じる事ができた。

 俺たちは二人そろって怖がりで臆病者なんだ。
 胸の中で嗚咽を漏らす工藤の頭を撫でながら、俺は悦びをかみしめていた。




fin









黒羽先生の科目は化学か数学でいいと思う
大穴で家庭科でも。三大栄養素について語る快斗(爆(060506)

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