充足









「キッド……ッ…!!」
「おやおや、またいつもの探偵君ですか?」
 振り返った白い怪盗は厭味なほど優雅に微笑んだ。
 いつも崩さぬ余裕の笑み。口角を上げるだけのそれは、負けず嫌いな自分の精神を乱すに充分であった。

ムカついて仕方がねぇ…その態度も、呼び方も!!

「そんなに怖い顔をしていると、可愛いお顔が台無しですよ?」
「ッ!…可愛くて悪かったな、好きでこんな顔してんじゃねーよ」
「そうでしたね」
 小学生の姿でそんな台詞を言えば、相手にとっては子供が駄々をこねているいるようにしか映らないのだろう。風にマントを揺らす怪盗はクスリと笑いハットの唾に手をかけて肩を揺らしていた。
「…ッカつくんだよっ!てめーのその人を小馬鹿にしたような態度が!」
 ぎろりと睨み麻酔銃を構えてもやつが焦る気配は微塵もない。それどころか、とても楽しそうに笑うのだ。心底腹の立つやつだ。
「今日が年貢の納め時だぜ、怪盗キッド!」
「フッ、まだ捕まるわけにはいきませんね。探偵君が元に戻るのを見届けるまでは、ね…」
「なっ、そんなのてめーに関係ないだろうが!」
「ありますとも」
 至極当然だと小首を傾げて言う怪盗。その言葉に一瞬俺がたじろいだ気配を見逃さずに煙幕と共に姿を消した。直にビルの柵に手をかけて街並みを見下ろすと白い蝶がひらひらと舞っていた。
「くそっ!逃げられたか…!」
 あの怪盗が何を考えているのかさっぱりわからない。宝石を盗んでは警察を嘲笑う怪盗の考えている事なんてわからなくていいのかもしれない。だけど、そんな謎だらけの怪盗が気にかかるのは事実。そして、話をしている間はとても平静ではいられないことも。

あんなに感情を荒げることなんて滅多にないはずなんだがな…

 キッドの前では今のこの姿のまま子供のようになってしまう。あいつの感情を揺さぶって、仮面を剥ぎたい。自分の言動でやつが表情を崩したなら、俺は嘗てない高揚感を味わうことができるだろう。



 相変わらずキッドとの関係は変わらぬままでいた。そんな中、ある日灰原に呼ばれて博士の家に顔を出したとき、突然告げられた言葉。
「解毒剤の完成品できたけど、飲む?」
 考えることもなくそれを飲み、俺は元の身体を取り戻す事ができた。

 灰原のまだ早いと言う言葉を振り切って、久し振りに赴いたビル。コナンである時に暗黙の了解となっていたその中継地点で今日の仕事をやり終えた怪盗が降り立つのを待つ。
 寒さで震えながら早く来いよボケキッドと悪態を吐いていると、不意にコナンの時に聞いた怪盗の台詞を思い出した。

『探偵君が元に戻るのを見届けるまでは、ね…』

 あれが本気だとしたら、今日は捕まる気になるかな?あいつ。
思えば工藤新一として対するのは初めてで、まるで初対面の相手に会う様な気分であった。僅かな緊張感が新一を包む中、ビルの柵に身を預けていた新一の背後から声がかかる。
「名探偵」
 聞き間違えるはずのないその声。凛として耳障りのいい五感を刺激するそれを聞いた刹那、胸がドクンと鳴った。振り向くことはせず、顔を眼下の街に向けたまま
「宝石、寄こせよ…」
「……名探偵」
 呼び方が変わっていた。高校生になったから格上げをしたのか。しかし、気のせいか声にいつもの張りがない。多少の揺れを含む声は彼のどんな感情を反映しているのか。知りたくとも今は怪盗と正面から向き合うことは不可能だった。
「名探偵、こちらを向いてはいただけませんか?」
「………やだ」
 きっと情けない顔をしている。今更自覚してしまったのだ。後ろの大怪盗に恋焦がれていると。探偵君だろうと名探偵だろうと彼に呼ばれるとそれは甘美な響きへと変わる。散々追ってきた敵に惚れて、あまつさえ自分の本分を全うする事さえ困難な状況で。どんな顔をしてあいつの方を向けばいい?
「ずっと、待っていました」
 いつの間にか真後ろに立つ怪盗に驚き、思わず振り返る。キッドの足音がしないのはいつものことだが、冷静ではない今の新一にとって唐突に詰められた距離は自分の感情を吐露する切欠となる。
「名探偵、貴方がその姿に戻るのを…」
 指を頬に掠めうっとりと述べる怪盗に新一の頭はパニックに陥った。顔に熱が集まるのを感じつつ、眼は怪盗のモノクル越しの眼に釘付けになる。
 新一が思案を廻らす中、怪盗の掌は新一の頬を包んだ。呆然と見つめる新一に微笑みを返し徐に角度をつけて顔を寄せる。
「ちょ…っと、…」
 あと数センチで触れようかというところで新一の手がキッドの口付けを阻んだ。
「名探偵…嫌ですか?」
「あ……と、そうじゃなくて………その…」
 告げたい言葉が見つからない。こんな経験は初めてであった。人一倍口の達者なはずの自分がこんなにしどろもどろするのは稀である。
 眼を伏せているとキッドが俺の目線を追って下から顔を覗きこんできた。背丈の違いもありキッドは俺の肩に手を乗せて上体を屈ませていた。
「キッドは、…誰とでもできるんだろ…?でも、俺は……!」
 俺の気持ちなんて顔を見ればすぐにわかるだろう。それほど怪盗を求める眼をしている自覚はある。至近距離でそれが隠せる程、俺が怪盗に寄せている感情は冷静なものではない。色に例えるなら紅。血にも似たこの想いはキッドが「お嬢さん」達に渡す薔薇よりもっと鮮やかであろう。
「そんな顔をしないで下さい…口付けたいと思うのは、名探偵だけです」
 その刹那、怪盗がもう話は終わりだとばかりに早急に新一の口唇を奪った。

あ、……キモチイイ…

 キッドの強引な口付けも甘んじて受け入れる。何度も重ねられる口唇は徐々に熱を帯び、身体を支配する腕は拘束を強める。余裕のないキッドの所作に新一は心の中で微笑み、キッドの首に腕を回して縋りつき、自ら唇を開いた。キッドの驚いた気配がしたと思ったら、次の瞬間には温かな舌の感触が口いっぱいに広がる。舌が深く絡み、腰が砕けても新一は必死にキッドにしがみついて掌から施される愛撫に応えた。
 キスの直前に見せた慈愛に満ちた双眸。キスの合間に見せる自分を欲する欲望の篭った眼差し。その全てが如実に怪盗の本心を表していた。それだけあれば充分だ。この男に全てを差し出してもいいと思うほどに、俺の中は満ち足りた。
「くすぐったいですか?」
「いや」
「では何故笑ってらっしゃるのです?」
「幸せだからかな…」
「名探偵…」
「ん?」
「ずっと貴方を欲していました。小学生の貴方を浚ってしまいたいと思うほど。だから、貴方がこうして腕の中にいることが少し信じがたい」
「俺も」
「…心も身体も、私に奪わせていただけますか?」
 怪盗の胸に埋めていた顔を上げ、視線を交わし下から押し付けるように唇を重ねると、キッドは顔を綻ばせて新一を抱き締めた。



「そういえば、俺が元に戻ったら捕まるって言ってなかったか?」
「ええ、現に捕まっているでしょう?貴方に」
 にこりと笑って告げる怪盗にまたしてもヤラレタ!と新一は悔しい思いをしながら頬を染めるのであった。





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当初はもっとソフトな話になる予定でした(焦