眠くなったら目を閉じよう

 きっといい夢がみれるから

 








7. curtain








「改めてお前の親父さんてすげーのな…」
「そんな風に言われるとちょ〜っと妬けるなー」

 一面の銀世界を目の前に二人は呑気に会話をしていた。吐く息は白く風に乗って同方向に流れていく。
 ここは世界最北の地。1年の中でも最も寒くなる時期にこの地を訪れたのは快斗の一言が切欠であった。



「新一、今見たいものって何かある?」

 起きたばかりの、さあ食事に手をつけようかという時にかけられた快斗の言葉。新一は瞬きをして、それを頭で復唱する。が、いまいちぴんとこない。

「それは、テレビの話じゃないよな?」
「うん。単純に見たいもの。人、物、或いは現象」
「そうだな…」

 新一は顎に手を当てて暫し沈黙した。難しい表情で目を瞑る彼に快斗は、そんなに真面目に考えなくてもいいのに、と苦笑いをして新一の答えを待った。
 すると早朝の寝ぐせ頭のままの新一が、ぽつりと一言呟いた。
 その答えに快斗は一瞬驚き、次には目を細めて言う。

「いいね。俺も見たことないし。じゃ決定、それ見に行こう」

 本気か冗談か新一が判断しようとする前に、快斗は声色を変えて旅行会社に電話をかけていた。










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 新婚夫婦に変装していた二人は、ツアー客に紛れて北極の地に立っていた。誰一人としてその変装には気付かず、また二人が消えた時も誰一人気付かない。団体から離れた二人が向かったのは、快斗の父、黒羽盗一が残したキッドの最後の砦であった。

「キッドの衣装と一緒にさ、此処のこと書いたメモが残ってたんだ。万が一の時は使いなさいって」
「ずっと使ってなかったんだろ?やけに綺麗だな」
「寺井ちゃんがマメにみてたみたいだよ。流石にちょっと埃はあるけど食べ物や生活用品はある程度揃ってる。
 何より、ここなら滅多な事がなきゃ人も来ないし落ち着くでしょ?」

 住居としては快適なマンション暮らしより、狭いが人目を気にせず済むこちらの方が二人には暮らし易い。モーテルのようなその建物は、ツアー客が頻繁に降り立つ地点からさほど離れていない場所にあった。入り口は風景に同調するよう地形に準じた形になっていて、すぐに見つけるのは困難だ。だが快斗はそれを容易く発見し、持っていた鍵で入り口を開くと黒目がちな瞳で新一を手招いた。

「今日見れるといいね」
「そうだな。天気もいいし案外すぐ見れるかもな?」

 暖房のスイッチを入れ、一息つこうと快斗はコーヒーを淹れた。日本から持ち込んだお気に入りの豆から淹れた琥珀色の液体をカップに注ぐ。
 まだひんやりとした部屋で暖を取る様にカップを両手で包み込む新一を前に快斗は思うのだった。

 日本も此処も大差ないな…どっちも新一がいれば天国だし、いなきゃ地獄。

 コーヒーを持ったままの快斗を新一が見上げる。

「お前は飲まないのか?冷めるぞ」
「お風呂とか色々機能してるか調べてくるよ。新一は休んでて?」

 きっと、ここにも長くは居られないけれど…










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 少しだけ埃っぽいベッドの上で、一つの毛布に包まって外を眺める二つの影。
 二人はこの住まい唯一の窓から延々と外を見ていた。

「でてこないねー」
「毎日現れるわけじゃないからな。いつでるかもわかんねーし」
「じゃあ今日来てた観光客の皆さんはさぞがっかりしただろうねぇ」
「諦めてさっさと帰りゃいいのにな」
「新一君冷たいなー」

 快斗は笑いながら隣に眼をやって、夜空を見上げる新一の横顔に魅入った。
 細い髪の隙間からサイドライトが漏れて光り、長い睫毛が瞼の動きに合わせて揺れる。すっと通った鼻筋の下には薄く開いた口唇。顎から耳にかけてすっきりした輪郭が浮かび上がり、視線は首筋から喉仏を経由して鎖骨へと下がってゆく。

「でも星は綺麗だよな」

 不意に新一が快斗のほうを向いた。嬉々とした表情の新一に快斗は不躾な欲を示した視線を送る事しかできなかった。

「…新一、今日は疲れたでしょ?もう寝よう」
「快斗」
「なに?」
「俺はまだ眠くない」
「え?」
「もっと疲れないと寝れない」
「ちょ……しんいっ…」

 するりと背に這わされた新一の手の感触に快斗は焦った。唯でさえ煽られた直後の身体に直接的な接触。しかも最愛の人からの。慌てて新一の身体を離そうと背中で絡まっている手を掴み、その体温に逆に煽られる結果となる。

「駄目だよ…今は、ほんとにやばい。最後まで抱いちゃう」
「いいよ」
「でも、…」
「平気だ。ちゃんと薬飲んでるし、最近は発作もない。ドクターストップっても万が一のことを考えてのことだ。灰原の杞憂かもしれないし。それに…」
「……それに?」

 新一は言葉を告げると共に徐々に快斗に身体を預け、半ば押し倒す様な形になっていた。そして、快斗の胸に顔を押し付けて続きを告げる。

 ……優しくしてくれんだろ?

「新一…」

 これ以上煽らないでほしい。口にした名前が酷く欲に掠れているのが自分にもわかる。
 大胆な科白と裏腹に耳を赤くした新一を見とめて、触れるだけのキスをした。

「も、我慢できないかも…」
「しなくていい…俺もだし」

 睫毛が触れそうなほど近くで囁いた快斗の目は彼の感情を如実に表している。漸く躊躇いを捨てた彼に新一も満足そうに微笑んだ。それすらも今の快斗には行為への誘発となる。
 快斗は肩に寄りかかる新一の身体を押しやって、布団の上に横たえた。そして新一の耳の側に手を置いて見下ろす。
 窓から降り注ぐ星星の明かりが新一の顔を照らしていた。







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「おはよう」
「…はよ」
「身体大丈夫?」
「…平気だ」

 ぷいっと反対側を向いてしまった新一に、快斗は蕩けんばかりの笑みを浮かべ、さらり流れる髪にキスを落とす。異常のない様子の新一に安堵して、そっと新一の頭を撫でた。

「大したものはないけど、朝ごはんにしようか。新一」
「ああ」

 掠れた声と肩口に残る鬱血に昨晩の様子を思い返し、快斗は一人にんまりと朝食の準備をする。

 首の目立つとこにキスマークつけちゃったなぁ…俺以外見る人いないからいいんだけどさー
 昨日は首にキスする度に泣きそうになったっけ。新一にも最中に情けない顔するなって言われちゃったしな。新一の首って俺にとっちゃ犯してはならない領域なんだよね。一度ひどい事した酬いってやつ?

「快斗、なにぼーっとしてんだ?」
「え、いや何でもないよ?」
「ふぅん…」
「新一、ごはんおいしい?」
「ん…」
「なんか新一、一段と色っぽくなった…?」
「は?色っぽいってなんだよ?」

 快斗の言葉に不服を露わにする新一。お構い無しに快斗は新一を凝視してうんうんと頷いた。

「きっとエッチの効果だね、うん」
「なわけねーだろ///バ怪盗!」




 それから数日、二人は変わりばえの無い生活を繰り返していた。
 新一の身体は驚くほど好調で、晴れた日には氷の上を二人で散歩した。日が昇る時間が極端に短いが、東京とは比べ物にならないほど空気が澄んでいる場所で、心身ともにゆとりを持てたおかげかもしれない。
 そして夜はというと、当初の目的を忘れてしまいそうに熱い時を過ごす。
 その日もそんな、いつもと変わらぬ夜だった。


「………っあ、…………かいっ…!」
「……なに?嫌なの?」

 これから本格的な愛撫をと服に手をかけた時、新一の手が快斗の肩を押し返した。対する快斗は顔を覗きこんで不満を訴える。

「そうじゃなくて、外見ろよ」
「んー?……って、とうとうきた?」
「みたいだな」

 新一が指差した窓の向こうでは、空でオーロラが揺れていた。

「快斗、外で見よーぜ!」
「観光客いるかもしれないから慎重にね?」

 なかなか現れなかったものの登場に、行為の中断で拗ねかけていた快斗の気分も高揚し、嬉々として外に出たがる新一と同じく子供のような笑みをこぼす。
 それからほどなくして二人は防寒着を身にまとい、ぴりぴりと痛みを感じるほどの寒さへと身を投じた。

「うわ、さっびー」
「新一、そっち人来るかもしれないからこっち行こ」

 来る時に降りた地点の方向へと歩いていこうとする新一の手を引っ張って、さりげなく腰に手を置いて、まるで道を知っているかのように歩く。新一も快斗の腰に手をやって、頭上でふわふわとたなびくオーロラを見上げた。

「どんだけ歩いたらアレの真下に行けるのかな…」
「さぁねー、きっとすげー遠いんじゃない?」
「なら、なるべく近くに行こうぜ?」
「ああ」

 それから歩く事数分。二人は考えていたよりも早く歩みを止める事となる。

「あちゃ〜こりゃしょうがないな…」
「でっけークレパス…」

 新一がロープの手前から覗き込むと底の見えない闇が広がっている。幅も広く長い氷の裂け目を避けて行くのは困難だろうとその先へ行く事は早々と諦めた。

「俺達が動ける範囲なんてこんなもんか…」
「新一、疲れた?」
「いや、平気」
「じゃさ、ココ、ちょうどいいから…こいつの末路見届けてやって?」

 そう言って快斗が懐から出したのは、不幸の元凶ともいえる宝石、パンドラだった。そして、新一の驚く顔に微笑して、それをクレパスに投げ入れた。カラカラと氷壁に当たって落下してゆく音がフェードアウトして消える。底に当たった様子のないそれはどこまで行くのかわからない。
 シーンと音の無くなった空気の中新一が小さく呟く。

「持って来てたのか」
「うん。ここなら簡単には見つからない。パンドラの最期にはぴったりでしょ」
「そうだな」
「じゃ、パンドラの処分も終わった事だし、消えちゃう前にオーロラ観察しますか!」
「って、うわ!引っ張んな」

 快斗は新一を巻き添えにして平らな地面に寝そべって手足を伸ばす。真上ではないが、少し角度をつければオーロラが見える。

「ぷ、すっげ動くのはえーんだな」
「え、そこ笑うとこなのか??」
「だって忙しねーんだもん」
「俺は人生観変わりそうなくらい感動してんのにお前ってやつは…」
「いいじゃん見方は人それぞれだろ?それに俺もすごいと思うよ。大自然の前では人間なんてちっぽけだってね」
「ここに来たこと後悔してないならそれでいいんだけどさ」
「後悔?」
「元々俺が見たいって言ったから来たとこだろ?」
「ああ、そうだったね。俺はどこだって後悔しないよ。
 例えば、あの時新一がピラミッドが見たいって言ってて、今砂漠にいたとしてもね」
「なんだそれ」

 新一がクスクスと笑った。寝そべりながら肩を抱いていた快斗にその振動が伝わる。

「新一は来てよかった?」
「もちろん」
「エッチもできたしねv」
「うるせぇ…」

 そんな会話がされている最中も空ではオーロラが刻一刻と形を変えている。一時も同じ形をしないそれを飽きもせず、他愛も無い言葉を交わしながら二人はずっと眺めていた。








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 ……帰りたくねぇ……

 肩に寄り掛かる新一を見ながら快斗はそう思っていた。
 オーロラは先程より近くに来て、二人を手招いているかのように揺れている。新一は時折瞬きをしながら無言でそれをじっと見ていた。

「新一」
「ん?」
「身体冷たくなってきちゃったね」
「ああ、でもまだいいだろ?」
「うん」

 防寒着を着ていても身体の芯が凍るように寒かった。だけど、二人の体はその場に縫い止められているかのように動かない。

 もう指の感覚がねーな。温かいのは、新一と触れてる部分だけだ。

「快斗」
「なに?」
「ここで…ずっと見てようぜ」
「新一もそうしたいの?」
「もって…」
「俺もここから動く気がしないんだよ」

 快斗はそう言って両腕で新一を抱き締めた。新一の眼から溢れた一粒の雫が頬の上で凍る。

「新一、寒い?」
「もうそんなの通り越して気分がいい」
「ふふ、俺も」

 犬のように頬を摺り寄せる。二人とも感覚が無いが、ふわふわとして夢の中にいるように心地がよい。

「ああ、もうなんかねみーなぁ…」
「俺も新一の眠そうな顔見てたら眠くなってきちゃった。一眠りしよっか?」
「うん。先に起きたらちゃんと起こせよ」
「わかってるよ。おやすみ新一。今ならきっといい夢が見れるよ…」
「ん。おやすみ…」

 すっと眼を閉じた新一の瞼にキスを落とす。
 蒼白い顔。この眼が再び開くことはきっとない。
 おやすみ。
 眼を覚ましたそこは、きっと俺たちを追う者なんていない、平和で穏やかな世界だから。
 君を想うなら残してくるのが本当の愛情だったのだろうけど、独占欲の強い俺はそれに耐えられなかった。
 思えば首を絞めたあの日から、君を連れて逝きたかったのかもしれない。
 出来損ないの恋人でごめんな。
 こんな俺の手を取ってくれてありがとう。
 君の寝顔は好きだけど、俺もいい加減瞼が重いんだ。
 最期におやすみのキスをして、俺ももう眠るよ。
 おやすみ新一。また明日。


 快斗の瞳から落ちた氷片が、カツンと音をたてて散った。





















「お早う、二人とも」

 白衣の下からすらりと伸びた脚。ヒールのついた靴をはいた女性がガラスの前に立っていた。

「わたし、明日結婚するわ」

 ガラスにそっと手をついて、それを隔てた向こう側に視線を送る。

「早いものね…あの時わたしは小学生だったのに」

 もうずっと、そうやって手を取って寄り添っているのね。
 心配しなくても、もう貴方たちを引き裂くものなんて何もないというのに。

「式には来てくれるかしら?」

 彼女がいくら待っても、視線の先にいる二人からの答えはなかった。






to be continue.....




















次回で最後です。