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揺ら揺らと陽炎が揺れる空間にぼんやりと人影が見えた。
その人は自分に気付くとこちらへと歩み寄り、足元、腰、肩と徐々にクリアになってくる。だが顔が見える寸前にオレは足元の異変に気付き、下を見ると紅い海の水面の上であった。 身体はたちまちに海に呑み込まれ、泳げるはずの手足はもがくだけで口に入る紅いものは鉄の味がした。必死で顔を水面に上げ空気を吸っていると突如手が差し伸べられる。無心でその手を掴み、引き上げてもらうと今度は水面の上に立つ事ができていた。ガラスの上にでも立っているかのように不安定なそこにいる、自分を引き上げてくれた人物を見た。 目の前には、眼から血の涙を流す工藤新一がいた。 という夢を見た。
3. gravitation 「大丈夫?」 「ああ、熱っぽいだけだ」 「そうじゃなくて、彼のこと」 「あいつ・・・・・・か」 志保の言葉に苦々しい表情で新一が答える。 「もう会うこともないだろうよ、俺もあいつもお互いに興味ないからな」 「そうは見えなかったけど?」 新一は嫌そうにすると寝ると言って不貞腐れてしまった。志保は素直じゃないんだから、と呆れて次の薬の時間にまた来ることを告げ、隣家へと戻っていった。 新一は枕に顔を埋めてキッドとのやり取りを思い出していた。 なんで・・・・・・あいつに同情されなきゃなんねーんだよ? 殺人事件の現場とはまた違うキッドの時の張り詰めた空気が好きだった。気を抜けない相手に脳をフル回転させて自分の持てる力をすべて出し切り、ぎりぎりの攻防を楽しんでいた。 だが、それも今日限りで終わりだ。 大嫌いだよ、あんなやつ・・・・・・・・・でも憎いと思ったことはなかったな・・・・・ 新一は大きく息を吐くと消えぬ喉の痛みを感じながら寝返りを打って布団に包まり、思考を遮断して眼を閉じた。 +++++++++++++++++++++++++++++++++ 最近とても寝覚めが悪い。記憶は曖昧だがいい夢を見ていないようだ。 「名探偵の呪いか?」 目が覚めてから頭に浮かぶのはいつもあの探偵で、彼が自分に悪夢を見せているかのような錯覚を覚える。 細い首がぎりぎりと絞まり、喉がビクビクと反応を返すのを掌から感じた。そこまでする前に自分が手を外していれば、彼をあんなに苦しめることはなかったのではないか?そう自問するがたらればを繰り返してもあの時が覆るわけではない。また過去の過ちとして処理する事もできなかった。 首を絞めて探偵を発作におとしめて殺しそうになった。それは消せない事実なのだ。 今日はキッドの予告日。だが事前の下調べでは白馬や新一が二課に協力するという情報はなかった。それどころか新一は一課の要請をすべて断っているという。身体の調子でも悪いのだろうかと心配している一課の刑事の声を聞いて快斗は自嘲した。 出たくても出れねーんだろ?あの首の痣はすげーからな… 二、三日で消えるような痣ではない。それに加えてあの発作の酷さ。あれで外に出るなんて自殺行為だ。 「どうせオレはもう二度と会うことはないけどな…」 彼のほうから手を引くと言った。それは即ち絶縁を意味する。もともと自分達の間に強い絆などなかったが、一方的に興味を失くされた事には少なからずショックを受けた。 なぜだろう?邪魔だと思ったから排除しにいって、結果的には上手くいったのに、オレはすごく後悔している。 生気のない蒼い顔をした彼が快方に向かっているのか気になってしかたがない。 だからと言って会いに行くことなど許されない。そのジレンマが集中力の欠如に繋がる。そんな精神状態でいた快斗はこのままではいつかキッドの仕事をしくじるのではないかと考えるようになった。 そして程なくして、それは現実のものとなったのだった。 +++++++++++++++++++++++++++++++++ 新一の首の痣が目立たなくなったため、久し振りに警視庁捜査一課に顔を出して今から帰ろうかという時。 「工藤くん!」 切羽詰った声の方向を向けば白馬が蒼白な表情で新一を見る。 「・・・・・・なんかあったのか?」 「実は・・・・・・・・・キッドが何者かに撃たれて、ビルから落下したまま行方不明なんだそうです・・・」 「キッドが?まさか、またあいつの性質の悪い悪戯だろ?」 「いえ、打たれたのは確かなようです。手にしていた本物の宝石を落としていったのですから・・・」 ここは天下の警視庁。その一室でキッド専任の探偵を豪語していた白馬がキッドの安否を気遣っている。それが新一の眼にはひどく滑稽に映った。 「お前、どうして最近キッドの現場にいなかった?」 「・・・・・っ!・・・・・・それは・・・」 白馬は口を濁して新一から目を逸らした。 「俺と同じ目に遭ったからだろう?」 「どういう意味ですか?」 「俺のコレ、キッドにやられたんだぜ?」 そう言って、うっすらと残る首の痕を指差した。赤く残る手形を見て白馬ははっとして視線を落とす。 「お前は何されたんだ?近づきたくなくなるようなことはされたんだろ?なのにどうして奴の心配をする必要がある?」 「工藤くんっ!」 まるで怪盗の身を案じる気配のない新一を不謹慎だと睨みつけるとそれ以上の凄みで新一に睨み返される。 「俺はあいつを憐れむ気なんてこれっぽっちもねぇんだよ」 「あなたという人は・・・・・・」 彼は確かに探偵としての腕は一流で、人の心の内を読むことにも長けているはずであった。そんな新一が、何故自分でもわかるキッドの心の闇に気付いてやれないのかと、歯痒い思いで白馬は去っていく新一の背中を見た。 +++++++++++++++++++++++++++++++++ やっべぇかも・・・・・・・・・ 苦労して手にしたはずの宝石は今や手の内にはない。それどころか視界は霞み、肩を掠めた銃弾は意外に深く抉っていってくれたようで傷口が熱を持ち、その熱は身体中に回りつつあった。 獲物の確認もしてなくて、深手を負って、それで近くには名探偵の家? 毎夜見る悪夢が蘇ったのか、ビルから落下してぎりぎりの高度で羽を広げ、霞む意識の中着地したそこは米花町だった。 どうしようか・・・・・・ すでに一歩も動ける状態ではない。木に寄りかかり近所の人に通報されるのを待つしかないのかと思案に暮れた。意識を保てなくなり不安定に揺れる視界に映るのは夢に出てきた探偵であった。足元が覚束なく、水面を歩いているような感覚でいると夢と同様に綺麗な手が差し伸べられる。 キッドは無意識のうちにその手を掴むとそのまま完全に意識を手放した。 「あら、珍しいもの拾ってきたのね」 「後はお前に任せた」 連絡を受けて早々にやってきた志保にバトンタッチをし、新一はコーヒーを淹れにキッチンに行ってしまった。 志保は新一の施した応急処置を見て特に他にすることもないと思いながら怪盗の熱を測って強めの安定剤を打った。そして居間のソファに不釣合いな白装束を見て嘆息する。 怪盗さんが目を覚ましたら工藤君が何て言うか見ものね。相変わらず意地の悪いこと言うのかしらね? 「大した怪我じゃねーよな?」 自分用のコーヒーと志保用の紅茶を持って新一が言った。 「そうね、命に別状はないわ。でも、少し疲れているみたい」 「フン、軟弱なやつ」 「聞いていいかしら?」 「なんだ?」 コーヒーを口にしながら新一は苦い顔をした。こう聞くときの志保の質問はいつも自分を困らせる類のものだからだ。 「どうしてこの人を連れてきたの?」 「倒れてたから・・・・・・」 「警察の病院でもよかったんじゃなくて?」 「これで捕まったらフェアじゃない」 「あなたのプライドの為ってわけ?」 「そんなとこだ」 「いいわ、それで納得したことにしておくわ」 志保はそれ以上何も聞かずに怪盗の処置について新一に説明すると隣家へと戻っていった。 どうして、なんて・・・聞きたいのは俺のほうだ・・・・・・白馬にあんな風に言っておいてこんなことしてるなんて。 偶然か必然か、血まみれでうずくまるキッドを見つけてしまった。自分を見て何故か笑った怪盗に知らぬうちに手を伸ばしていた。 そうして暫く考え込んで、キッドの額に置かれたアイスノンを触ると既に生暖かくなっていた。それの代えを額に乗せてやると怪盗の瞳から僅かに群青が覗く。 「め、・・・・・たんて・・・い?」 「撃たれた上にビルから落ちたんだってな。ザマねぇな」 新一の容赦のない明瞭な応えに一気に快斗の意識が覚醒した。 「なっ、ここは!?・・・・・・・・・・・っぅ!」 がばりと状態を起こして辺りを見渡したはいいが肩の傷口に響いてまたソファへと逆戻りした。 「俺の家だ」 「助けてくれたのですか・・・・・・・・・?」 「どうかな?これから突き出すかもな。それかこの前の仕返しに今度は俺がお前の首絞めるかも?」 言われて快斗は新一の首を見た。まだ完全に消えていないそれに手を添えて俯く。 「まだ、痕残ってんだな・・・・・・・・・」 「おかげ様で。それより、これ何だと思う?」 首に触れる快斗の手はさして気にせず、至極楽しげな表情で新一が聞いた。 「え・・・・・・?・・・・・・パン・・・ドラ?」 新一が手にしていた宝石は中が煌々と赤く輝いていた。いやでも探している宝石に重ねてしまう。 「は・・・・・・?パンドラ?」 「何で名探偵が持ってるんだよ?オレの探してたもの」 視線を新一の手元の赤に奪われて快斗は新一の手ごとその宝石を月に翳した。だが、中は確かに紅いのだが月の光を当てても何の変化もない。一気に失望の念が快斗を襲う。 「お前さっきから何言ってんだ?今日の獲物の形も忘れたのか?」 ビルから落下したせいか、あるいは取り損なったせいで頭がイカレてしまったのか。新一が持っていたのはキッドが今日ビルの屋上で落とした戦利品の宝石であった。それに気付かない上に意味不明な行動を取って勝手に落胆しているキッド。 「でも、中がこんなに真っ赤なのに・・・・・・」 外側の宝石は大きいだけで大した価値はない。だがその中の燃えるような赤い宝石はパンドラを思わせるに充分な妖しさがあった。 「たりめーだろ。キャッツアイなんだから」 呆れたように言う新一の声を聞いて快斗の脳裏に下調べの時の記憶が戻る。 そういえば、今回の獲物はキャッツアイだったっけ・・・・・・見た目がパンドラみたいだからもしかして裏の裏をかいてこれが本物なんじゃないかと思ってたんだ。 「そうか、やっぱそんなに甘くないか」 「キッド、これいらねーの?」 がっかりした様子のキッドに新一は持ってきて損したと言わんばかりに眉間にシワを寄せた。 それを聞いて我に返った怪盗は宝石に向けていた視線を新一に戻して問う。 「名探偵っ、なぜそれを持っているのですか?」 「警視庁から失敬してきたんだよ」 「・・・・・・もしかして、無断で?」 「ああ、交渉の条件に使おうかと思ったけど、無駄だったな」 ちっと舌打ちをして新一は宝石をハンカチに包んで胸ポケットに突っ込んだ。 「交渉とは?」 「この前言ったこと撤回させてもらおうと思ってな」 そう言って妖艶に微笑む新一にはキッドに対する恐怖など微塵もない。その様子を見てあの時自分のした事がどれ程意味を成していないかをキッドは改めて感じた。 「何を撤回するのです?」 「もうお前から手を引くって言ったことだよ・・・・・・」 快斗は一瞬呆けたが、それは彼の一番欲しい言葉であった為、素に戻って応える。 「いいよ、その宝石の確認はできたから。というより、オレとしてもまた工藤に来て欲しい」 「目障りだって言ってたくせに、いいのかよ?」 「中森警部だけじゃ張り合いなくてつまんねーからさ、来てよ」 「後悔しても知らないぜ?」 そう言って彼が笑ったのでつられて笑みを返した。パンドラのことを詳しく聞こうとしないのは優しさなのか本当に興味がないのか図り難いが、いつか彼にすべてを打ち明ける事になるだろう。そして、自分も彼の身体のことを聞くことになる。 それは願いのような予言のような不思議な予感。 +++++++++++++++++++++++++++++++++ 「名探偵、今日もお一人ですか?」 「ああ、中森警部はまだ博物館をウロウロしてるだろうぜ」 強風に煽られて新一の制服のブレザーがぱたぱたと揺れる。それ以上にキッドのマントは風になびく。 「不要な石ですので名探偵からお返し願えますか?」 シルクの手袋に包まれた宝石を受け取りながら新一は口角を上げて言う。 「またハズレかよ、快斗」 「名前を呼ぶのは反則じゃない?新一」 「お前がいつまでもキッド気取ってるからだ」 「こっちの方がカッコいいでしょ?」 「言ってろよ」 新一の憎まれ口に軽く笑って、快斗は手袋を外してシルクハットの中に投げ入れてマントを翻すと「黒羽快斗」となってビルの上に立った。 「今から新一の家行ってもいい?」 「着替えたってことはそういうことなんだろ?」 慣れたもので新一はさっさとビルを降りるため屋上のエレベーターへと向かった。 「俺に愚痴るのはいいけど、こっちの愚痴も聞けよ?」 「わかってるって!泊りがけで聞くよv」 気に食わない相手から、何でも話せる友達へと昇格したが、次なる関門はすぐ目の前にある。 だが二人がそれに気付くのはもう少し先のこと。 to be continue..... 次はラブになり・・・・・ます。新一が何を考えてキッドに撤回を要求したかは次回へ持ち越し。 |